空想硝子小説 第10話
「ガラスの兵器」
襲撃が始まった。基地正面入り口で銃声が聞こえる。「我々も行くぞ」と父親が歩きながら基地裏手の断崖絶壁ルートを歩き出した。カルロス達は崖を越えて基地に進入するのだ。崖を横に移動していると父親が「この先の崖は飛び越えれない。カルロス、私の背負っている溶解炉からガラスの種を多めにすくってくれ」といった。カルロスは父親の溶解炉に吹き竿を突っ込むとこぶし大くらいのガラスを取り出した。「よし、いいぞ。それを向こう岸のあの鉄の杭に巻き付けろ。」カルロスは吹き竿を釣り竿のように振り落とした。先についたガラスは水飴のように延びていき見事向こう岸の杭に絡まる。しばらくするとガラスは固まり、一本のロープの様になった。「急げ!ガラスが割れる前にこれを伝ってこの崖を越えるぞ。」軋むガラスを握りしめながら二人はようやく崖を渡りきった。
カルロス達が基地内に入ると銃声は無く静かだった。「おかしい…。村の人たちになにかあったに違いない。カルロス、お前はヘナを助け出せ!私は正面入り口を観てくる」。「父さん、待ってくれよ〜」そうカルロスは叫ぼうとしたがグッと我慢した。「俺も、もう大人だ。自分一人でやってみせる」そしてヘナが居るであろう崖の倉庫に向かった。
正面入り口は静まり返っていた。暗闇の中、父親がようやく村人を一人見つけて近寄った。「どうした、何があった。」「作戦は失敗だ。奴ら思った以上に重火器類を装備してやがる。もう残っているのは俺ぐらいだ。あとはみんな死んじまった…。せめてお前さんと息子は逃げて生きてくれ」。その瞬間、サーチライトが一斉に父親と村人を照らした。
「共産党の赤犬ども、そこを動くな」基地の責任者らしい人間がニヤツキながら言った。「お前達はなにしにきたのか知んがここで死んでもらう。その前に規則上、拷問にかけるがな」。父親は「幸い、俺達の目的はまだ敵にバレてないようだな。ということはカルロスはまだ見つからずにいるらしい」と思った。「ならば…」父親は溶解炉を地面に置くとありったけのガラスを巻きだした。「なにをしている、やめろ。やめんと撃つぞ」しかし、父親は止めない。巻き付けた巨大なガラスを今度はグルングルンと回し始めた…。「これがインカ人がスペイン軍をうち破った伝説のロンデルの盾か…。初めて観たよ…。」薄れ行く意識の中、村人は呟いた。「無駄な抵抗はよせ。それ以上やると撃つぞ----。撃て!」銃口から一斉に火が飛び散った。「もう遅い。」遠心力で伸び上がったガラスは直径二メーター位の巨大な円盤の盾となった。いくら銃を撃とうが少し柔らかいロンデルの盾は全てのタマを飲み込んでいく…。父親はロンデルの盾と一緒に敵の中に飛び込んでいった。ロンデルの盾に触れたものはことごとく焼きただれていく…。ロンデルの盾が冷めてくると今度は盾を捨り投げ吹き竿の先端に取り付けたジャックで敵の心臓をえぐり、捕まれるとダイヤハサミで敵の腕ごと切り落とす。まさに鬼神の如く敵の一個中隊はアッという間にほぼ壊滅した…。
カルロスがヘナがいるであろう倉庫についた頃、正面入り口の方で銃撃が鳴り響いていた。「父さん達は大丈夫だろうか」と思ったが「俺の仕事はヘナの救出だ」と言い聞かせた。倉庫には窓があり、そこから進入出来ないかとカルロスは考えた。窓の方を睨んでいると一つの窓からギター・クアトロの音が聞こえてきた。「あそこにヘナがいる」。窓からカルロスの所まで垂直に十メーター位あったがカルロスはさっきの要領でガラスを「ヒィン」と窓の鉄格子に絡ませ昇っていった。そして鉄格子をダイヤハサミで切断し、薄暗い中を覗いてみるとヘナともう一人アメリカ兵が立っていた。
空想硝子小説 第9話
「アンデスを越えろ」
カルロスが目を覚ますと周りはまだ薄暗かった。目線を変えると父親が小型溶解炉で豆や穀類が入ったスープ作っている。「これを食べたら明け方には出発するぞ」と村の義勇兵がいった。今日はカラカスまでの道のりで最大の難所であるアンデス山脈を徒歩で越えなければならない。 おもむろに身を起こし、川の水を飲もうとした瞬間、カルロスの目の前にピンサーが突き刺さった。「その水を飲むな!アメーバ赤痢になるぞ。飲むなら一度このガラスで煮沸してから飲め」父親はポン手竿に少しガラスの種を巻いてきて言った。このあたりの水は“寄生虫”が多く、デング熱、リーシュマニアシス(皮膚に潰瘍をつくる寄生虫。蚊が媒介する。)に掛かりやすい…。「さぁ、グズグズするな!出発するぞ」
アンデス越えは想像を絶する過酷なものだった。空気は薄く、上を見上げれば空というよりも青白い大気がうっすら横たわっていた。カルロス達は重い荷物を担ぎながら一歩一歩前へ進む。途中、何度か土地を奪われ、旅をしながら暮らしているインディオ達に会った。彼らは先祖代々から守ってきた土地を資本主義経済発展のために警察から奪われたのだ。「何かが間違っている…」とカルロスは思った。「よく観ておけカルロス。これがアメリカのいう民主主義だ」カルロスを追い越しながら父親は低く唸った。そんなカルロス達をコンドルが薄ら笑いを浮かべながら頭上から追い越して行く…。コンドルを睨みながら「俺もゲバダのように戦ってみせる」とカルロスは心に誓った。
三日目の朝、ようやくカラカスの隣町のバレンシアに着いた。「よし、ここで少し休憩して夜中に米軍基地を襲撃するぞ」。そう言うとカルロスの父親はバタンと横になり低いイビキたてて呆気なく眠りにつく。カルロスは眠くなかったが、しかたなく横になった。
夜になると。カルロス達は襲撃の作戦を立てていた。プランはこうだ。まず、村の義勇兵達がオトリになり基地正面で襲撃を始める。その隙をついてカルロスと父親がヘナを救出するという至ってシンプルな作戦だ。「この作戦がうまくいけば良いのだが…」一人の義勇兵がポツリと言った。「うまくいくに決まっているサ」とカルロスは自分を奮い立たせるためにわざとふざけて言ってみた。全員で円陣を組み「アディオス、アミーゴ」と叫ぶと義勇兵達は夜の暗闇の中に消えていった。残された父親とカルロスはヘナがいるであろう。米軍基地の奥の倉庫を睨んでいた。

↑旅をしながら暮らしているインディオ達
空想硝子小説 第8話
「悲しみのコーヒールンバ」
カルロスが店を閉めてサン・クリストバルの教会広場に行くと既にカルロスの父と数人の武装した村の男達が集まっていた。「すげぇ〜、カラシニコフだ。それにイングラムにM656。こんだけ自動小銃があればヘナを救出するのもわけないぜ!」とカルロスが小躍りしていると、武装した男が「坊や、喜ぶのはまだ早いぜ、これを見な」といった。男達の真ん中に鎮座している黒いシートをカルロスが恐る恐る剥がすとそこには黒光りしたとてつもなく大きく美しい機関銃があった。「これは…HK21E重機関銃…こんなものどうやって手に入れたんだ」「イラン人がメリケンからふんだくったモノらしい。それ以上は聞くなよ」ドスの聞いた声で男はボソリと言ったのでカルロスは黙り込んだ。「父さん、早く俺にも銃をくれよ。ほんでカラカスに出発しよう。」とジャッキーが父親を捲し立てると父は黙って首を横に振り「ジャッキー家の武器は昔から一つだ」と言い放った…。
カルロスと父親はいったんガラスの作業場に戻り、古い除冷炉の奥に入っていった。そして父親が一番奥の下から三段目のレンガを抜くといきなり奥のレンガの壁が崩れ落ちた「これはいったい…」カルロスは息を飲んだ。「ここから先は中世の時代…お前のヒイヒイ爺さんが使っていたガラス工場だ。中に入るぞ!」「家の下にこんな巨大空間があったとは。」
中世のガラス工場はヒンヤリしていて炭っぽかった。中央に巨大な連帯窯がありその周りは木で組まれた舞台の様になっていた。「ここで俺のヒイヒイ爺さんがガラスを吹いていたのか!」「そうだ、カルロス、ジャッキー家はイニシエの時代からガラスを生業としていたのだ。今はしがない土産物程度のガラスしか扱っておれぬが中世の更に前はここでインカ帝国にガラス細工を色々献上しておったのだ。」古びた木製のベンチをさすりながら父親は喋り始めた。「そしてスペイン軍と戦う武器もここで作られていたのだ…」そういうと父親は舞台の下に通じる階段を下りていった。「父さん、待ってくれよ!」カルロスは慌てて階段を下りると息をのんだ。「なんだ…この見たことのないガラス道具は」「これがイニシエから伝わるジャッキー家の武器だ」
異様な道具達だった。直径十五センチ長さ二メーターはある吹き竿、異常に鋭い刃を持つジャックにハサミ、そしてリュックサックの様に背中に背負える小型溶解炉のようなモノ。「これで我々はヘナを助けに行くのだ」こんな古いモノでどうやってヘナを救い出すのか、敵はイングラムやウージーを常備しているアメリカ軍だ。カルロスは少し怯んだが父親の言うことに従い。この異様なガラス道具を身に纏い始めた。
教会広場に戻り村の男達と父親とカルロスはサン・クリストバルを後にした。カラカスに向かうにはアンデス山脈を越えなければならない。一日目はアンデスのふもと付近で野営となった。カラカスまでどんなに急いでも三日はかかる。麻の葉を噛みながらカルロスは妹ヘナの夢を観た。ヘナは薄暗い所でギターを弾いている。どんなに声をかけても返事をしない。ただ、その薄暗い部屋からは悲しい音色のコーヒールンバが響いているだけだった。 (第8話「悲しみのコーヒールンバ」より)

↑カラシニコフ

↑HK21E重機関銃
空想硝子小説 第7話
「ベネズエラ」
カルロスの故郷ベネズエラに触れる。
コロンビアの国境地帯貧民街マラカイボ湖を訪れたヨーロッパ人たちは、原住民の水上生活の様子がイタリアの水の都ベネチアを思わせたことから、この地を、小ベネチアを意味する「ベネズエラ」と呼んだ。
18世紀後半には独立の気運が育ち始めていた。1806年、フランシスコ・デ・ミランダが義勇軍を率いて独立運動を起こしたが失敗。続いて1811年にファン・アントニオ・ロドリゲスが独立を宣言し、初のベネズエラ共和国が誕生したが、1年ほどでスペイン軍に敗北し、再びスペインの支配を受ける。1813年、カラカス生まれの白人で、後に「南米解放の父」と呼ばれるシモン・ボリーバルが立ち上がった。彼はスペイン軍を打ち破ってベネズエラ共和国の復活を宣言して大統領となる。1821年、カラボボの戦いで決定的な勝利をつかみ、ようやくスペイン支配の歴史に終止符を打つ。支配者として最も成功したのは、1908年から1935年まで政権を掌握したファン・ビセンテ・ゴメス将軍だった。石油産業の基盤が築かれたのもこの時であった。軍事独裁政権は、その後1945年まで続く。しかし、ベネズエラの経済は大きく発展し、石油産業によって労働者階級の勢力も著しく伸びていった。そして1945年軍部内の混乱を機に、労働者勢力を背景とする民主行動党(AD党)と青年将校グループが共に立ち上がり、軍事政権を倒した。これにより、初の政党による政権掌握が実現したが、1948年再びクーデターによって軍事政権が復権する…。
今なおアメリカや欧州の経済制裁を受けているので非常に貧しく、カリブ海やパナマ沖、コロンビア国境付近などで過激な民主行動党(AD党)は義勇軍としてアメリカと戦っている。支配と独立を繰り返している国がベネズエラであり南米でもある。
カルロスの故郷はベネズエラのサン・クリストバルという貧民街だ。そこで父と母と妹、四人でサン・クリストバルの工芸品を作っている。琥珀に似せた硝子を模造し、土産物として観光客などに売るのがジャッキー家の生業だ。サン・クリストバルの成人男性はほとんどがAD党の残党で、もちろんカルロスも父も党員で欧米社会と戦ってきた義勇兵だ。
カルロスがいつもの様にアンバー色の硝子にピンホールを開け、新聞紙の棒を軽く押し当て、水蒸気で穴が膨らまし、琥珀を捏造していると父親が決そうを変えてやって来た。「ヘナがアメリカ軍にさらわれた…」
妹ジャッキー・ヘナンデスは美人で気だてが良く、サン・クリストバルでは有名なギター・クアトロ奏者だ。時々悲しみのボサノヴァも歌う。ヘナがサン・クリストバルの酒場でギター演奏している時にカラカス駐在のアメリカ人にさらわれたという。「ワシは今から村の義勇兵を集めてカラカスに行く。お前もすぐ支度をしろ」
「俺の妹がメリケン野郎に… 奴ら、ぶっ殺してやる!」 (第7話「ベネズエラ」より)
空想硝子小説 第6話
「時計仕掛けの硝子その2」
時間をゆっくり巻き戻す…。
「そしたら、空川君とカルロス、あとは好きにやっていいからなぁ。火の元だけは気いつけてや。ワシはもうあがるから…」というと塩田源太はイソイソと工場を後にした。空を見上げるとドンヨリとした雲がシトシト泣き出していた。「チッ」と唇を軽く鳴らすと塩田は両手をポケットに突っ込み肩をつぼめながら天王寺の方へ歩いていった。寺田町辺りまで来て赤信号を待ちながら、今日は早苗の店に行かず、シンガポールエステにでも行くかと思っていた時突然、塩田は肩を叩かれポケットのコブシを握りしめた。「どうしたの、塩田社長〜、エライ形相をしてぇ〜。ほんまビックリするわぁ。」「なんや地主の川谷さんか…」。
川谷は身長が二メーターはあろうかと思うほどの大男だ。横にもデカイ。そのくせ喋り方がオカマ調という一風変わった人物だ。いつも豆粒みたいな小型原動付自転車に乗って生野界隈の地代の集金に走り回っている。表の顔はここら一帯の地主だが、裏では地上げ専門のヤクザだ。「雨も降っていることですしぃ〜、そこの喫茶店で休憩しましょ♪」オネエ言葉だが川谷の目はヤクザのそれそのものだ。「コイツは苦手だ」と心の中で塩田が呟くのより早く川谷は塩田の腕をもの凄い力で引っ張ると喫茶ジュンの方向へ歩いていった。
喫茶ジュンは雨宿りのサラリーマンが二人、あと若いペンキ工が鳥山明のマンガを血走った目で読んでいるだけで静かだった。店内はワーグナーの「ワルキューレー」が申し訳無さそうに鳴っている。「さて、話しは解っていると思うけど塩田ちゃ〜ん。あなたの硝子工場のことよ」「待ってくれ川谷さん、たしかに最近地代が遅れ気味だが大口のお得意も見つかって社員も一人増やした。調子がいいんやぁ。来月には貯まった地代を払うからもう少しまってくれ」塩田がどんなに哀願しても川谷は苺パフェを黙々と食べ続けるだけで表情を変えなかった。「ダメよ塩田ちゃん。今月中に貯まった地代を払うのよ。じゃないと組の人間を工場に送り込んで滅茶苦茶にするわよ」「そんなアホな…。チキショウ! 最低なヤツに捕まったぜ…」「あの信号機が青だったなら俺は今頃…。」薄気味悪い歯車がギギギィーと動き出し、全ての歯車が狂い出そうとしているのを塩田は深い所で感じていた。寺田町の信号機はなぜか赤のままだった。 (第6話「時計仕掛けの硝子その2」より)

「あの信号機が青だったなら俺は今頃…。」
空想硝子小説 第5話
「時計仕掛けの硝子その1」
「ただいま」、空川小夜子が玄関の引き戸を開けると森井早苗と塩田源太が振り返った。「あら小夜子、今日は早いのね…。いつもは店が終わらないと帰ってこないのに…ホント勝手な子だよ」「小夜ちゃん今日の晩ご飯は天王寺動物園のスズメの残酷焼きやぁ。旨いぞ」と言って塩田は串刺しのスズメを小夜子に見せた。かなり酒臭い。小夜子は「酒が入るとホント、ムカツクわぁコイツ」と思いながら「母さん、今日は知り合いと一緒なの上の座敷使ってもいいでしょう。」と言うと「シャチョウさんコンバンハ」と傘をたたみながらカルロスが小夜子の背後から出てきた。その瞬間、早苗の眉間にシワが寄り「あんたまた懲りず男を連れ込んで…前の男でエライ目に合っているやろ。母さんもうお金、出さへんで」と言い放った。「まぁ、まぁ女将、この男は違うわ。コイツは先月からウチで働いてるカルロス・ジャッキーいうベネズエラ人や。小夜子君の後輩や。先輩が後輩を飲みに連れていく、エエコトやないか」べろべろに酔った塩田を魚の様な目で見下ろしながら小夜子は言った。「カルロス早く二階に上がって、私はあとでビールと食べ物を持っていくから」…。
小夜子とカルロスは「スナック森井」の二階にいた。バランバランとトタンを打ち付ける雨がうるさい。二人の前にはビールとスズメの姿焼きの突き出しが二本ずつ置いてある。「しかし、サヨコさんのオカアサンがシャチョウの行きつけのオカミサンとはオドロキマシタ」スズメの頭蓋骨をバリバリ砕きながらカルロスは喋りだした。「サヨコさんいいですか、オカアサン怒ってましたよ」「いいのよ、あの人はいつもあんな感じなの。それよりここならゆっくり喋れるわ。さっき、社長も帰ったみたいだし。お母さんもお店を閉めてお風呂屋に行ったわ。さぁ、あなたの秘密を教えてちょうだいカルロス。」小夜子はゴシップ好きのオバハンみたいに体をのりだしたがあまりにも自分が醜かったのでのりだした体を戻し、カルロスにビールを注いだ。「サルー」とカルロスは小さく呟き、小夜子の注いだビールをちびりと一口飲んだ。そして小夜子に目線を合わせずポツリ、ポツリと河合奈保子の(西城秀樹の妹コンテストグランプリ)ポスターを眺めながらバリトン歌手の詩のように喋りだした。遠くで天王寺駅の最終列車の汽笛が聞こえる。 (第5話「時計仕掛けの硝子その1」より)

↑「天王寺動物園のスズメの残酷焼きやぁ。」
空想硝子小説 第4話
「恋のブローフット」
尿瓶五百個の納品も無事すみ、生野硝子製作所はいつもと変わらぬゆったりとした時間が流れだしていた。今日は社長塩田の計らいで自由制作をしてもいいことになっている。「そしたら、空川君とカルロス、あとは好きにやっていいからなぁ。火の元だけは気いつけてや。ワシはもうあがるから…」塩田はそういうとまたいつものようにイソイソと出かけていった。「また森井のママの所に行くんだワァ」「あんな料理のまずい店によく通うものね」と小夜子がカルロスに言うと、「オトコはリョウリのヨシアシだけではミセにはカヨイマセ〜ン」と竿についた硝子を払いながらカルロスがボソッと呟いた。「まぁ!」小夜子はカルロスの意外な返事に少しドギマギしながらも「私だってそんなことぐらい経験済みよ、なによ自分だけ大人ぶって。」と思わず大きな声をだしてしまった。ゴーと溶解炉の音だけが鳴り響いている…。カルロスは「フッ」と軽く笑うとヒラリ、ベンチを飛び越えて「ソンナコトヨリ、サヨコサ〜ン。コノマエ、オシエテホシイとイッテイタ、ブローフットをオシエテアゲマショウ」と近づいてきた。
午後からシトシトと雨が降り出した。しかし工場内は相変わらずゴーと溶解炉が低く唸っているだけで深海のような静けさだ。小夜子はひどく緊張したおもむきでブローフットを作り出していた。カルロスジャッキーの静かな眼差しがそうさせていたのだ。洋バシでブローフットを広げようとした時、「ストップ」とカルロスが叫んだ。「サヨコさんあなたはホントウの恋愛をしたことがアリマスカ?」
小夜子はカルロスが何を言っているのか解らなかった。「なにを言っているのカルロス、今はそんなこと関係ないじゃない」小夜子はカルロスになにか見透かされているかのようでイライラしてきた。「薬を飲むから、あたしのカバンを取ってちょうだいカルロス!それとも替わりにこれがほしい!」小夜子は力任せに横にあったプロパンガスボンベをカルロス目がけて投げつけた。「ノ〜ノ〜ノー! クスリはいけませ〜ん」「サヨコさん、ブローフットはコイをしている時のようなヤサシサがないと広がりません。優しいキモチでガラスにふれるので〜す」と言ってカルロスは溶解炉に刺さってしまった小夜子の投げつけたプロパンガスボンベ20kgを元の位置に置いた。穴の開いた溶解炉から赤い龍のような火柱が立ち上っている。雨はさっきより強く、ザーと音が工場内にも聞こえていた。
「コウスルノでーす」カルロスのエロチックなまでの竿さばきに小夜子は生唾を飲み込んだが、はっと我に返ると「なによカーロス、私の気持ちを知っておきながらなぜそんなことを平然と言うの!」「カーロスのアホ、ぼけ、カス死ね!うわ〜ん」小夜子は感情を一気に爆発させると泣いてしまった。「すまない、あなたのキモチにコタエルコトはできないサヨコ…」「ワタシホントウハここにイテハいけないヒトね」「ワタシ故郷に戦士のプライドと友をミステテきた」「ワタシあのときコワカッタ!」頭を抱えながら「スマナイ、スマナイ」と繰り返すカルロスに「教えてちょうだいカルロス、戦士って何?あなたは一体何者でなにをそんなに怯えているの」薄れゆく意識の中、小夜子はカルロスの二の腕を抱きながら今晩の「スナック森井」の突き出しはなにかしらと考えていた。 (第4話「恋のブローフット」より)

空想硝子小説 第3話
「無題」
ここしばらく、生野硝子製作所は忙しかった。天王寺にある赤十字病院から尿瓶五百個の注文が舞い込んだのだ。
空川小夜子は社長の塩田とカルロス・ジャッキーのアシスタントに忙殺していた。しかし、清々しい疲労であった。薬も最近はカバンの奥に入ったままだ。塩田は忙しいせいか酒を余り飲まなくなっていたので小夜子の神経に触る様なことを言わなくなっていた。そしてなによりも小夜子の気持ちを軽やかにしているのはカルロスの存在だった。
吹き硝子制作の場合、普通新しく入ったきた、新人がアシスタントに付き、先輩の動きや技法を学ぶのだがカルロスのそれはあまりにも超越したものであったので、小夜子は自らアシスタントを志願したのだった。塩田の話によると、カルロスは母国ベネズエラバンダム級吹き硝子チャンピオンだったという…。その軽やかで閃光のような竿使い、蜂のように刺すブローは見るモノを驚愕させた。塩田の「硝子を力でねじ伏せる」とはまたちがったものだ。
昼休みを告げるサイレンが鳴った。小夜子は「一寸、西区の方に買い物に出かけてきます。」と塩田に告げ工場を出た。今日はどうしても堀江の画材屋でスクリーントーンの126番と160番を買っておかなくてはならないのだ。玉造駅で地下鉄に乗り換え、小夜子が堀江の駅を降りると景色が一変していた。ここが同じ大阪なのかと小夜子はいつも思う。いつも低気圧が頭のすれすれまで来ているような曇った天気の生野区に対し、西区はカラッと爽やかな天気だ。町の彩色もちがった。全てのモノに墨汁の雨をかけたようなグレーな生野区に比べると西区はパステル調のきれいな色が町のあちこちに散りばめられていた。少し前、小夜子は「こんな町でも硝子に透かしてみればキレイに見えるかしら」と思い生野の空を硝子越しに覗いてみた。しかし幾度も変わらなかったので小夜子はガッカリしたのを思い出した。
タチバナ通りの家具屋を横目に小夜子は「いつか私もこの町でオシャレガラスを作りたいわ」「オシャレコップにオシャレ照明…」小夜子はふと、今自分が作っている尿瓶五百個を思い出し悲しくなった。こんな時、いつもならカバンの奥から薬をとりだすのだが今日は違う。「カルロスならオシャレな尿瓶だって創れるはずだわ」そう自分に言い聞かせると小夜子は歩幅を少し広げて歩きだした。 (第3話「無題」より)
「こんな町でも硝子に透かしてみればキレイに見えるかしら」
空想硝子小説 第2話
「スナック森井」
「スナック森井」は阿倍野区アポロビル裏手の六軒長屋の一番端にある倒れそうな店だ。女将の森早苗が一人で切り盛りをしている。二階に上がると十坪ほどの早苗の寝室兼宴会座敷があり、一階は小川ローザのピン・ナップと阪神タイガースの川藤のポスターが主張しあう。薄汚れた三つの壁、傾いた四人分のカウンターと歯ブラシがある厨房、小さなテーブル一つと椅子が四個、すすけた天井、酒瓶とたてつけの悪い玄関の引き戸。
早苗は夕方4時頃、ネグリジェのまま一階に下り、顔を洗って歯を磨き、玄関に挟まっている郵便物を引き抜くと、テーブルに座って一時間ほどダラダラした。五時頃、再び二階に上がり服を着替え、化粧をし、ようやく、料理の下ごしらえを始める。「今日の突き出しはマグロの兜割りにするか…」昨日黒門市場で手に入れたマグロのあらが入った血染めのビニール袋を取り出し、二、三度臭いを嗅ぎ出刃包丁で解体を始めていく…。そんなことをしていると入り口の戸が開き、最初の客がやって来た。「女将やっているか」
「あら、源ちゃん今日は早いのね」生野区で硝子工場を営んでいる塩田源太が入ってきた。「それは嫌みか?女将。」塩田がギロリと睨む。ここ二、三年、塩田の工場は中国製品の硝子に押されぱなしで、仕事が余り無い。「百円で硝子コップを売られちゃ、ドナイモならん…。」そう言いながら、カウンターの椅子に腰を下ろした。「これでも食べて元気だしいや」そう言って、早苗は突き出しを出した。しかし、目玉の周りのゼラチン質をシャブリながら塩田は頷くだけだった…。
しばらく沈黙が続き、塩田が喋りだした。「女将、そんなモノ(マグロ)解体できんのなら人間も解体出来るか?」塩田の目が鈍き光る。「そんなこと出来るはずないヤン、何いってんのよ」明るくはぐらかした筈の早苗だが胸のアタリはどんよりと得体のしれないものがこびり付いていた。(第2話「スナック森井」より)
空想硝子小説 第1話
「衝撃の出会い」
空川小夜子は溶解炉を見つめため息を付いた。「今日も泡の切れが悪い…」生野区にある硝子工場に勤めだしてもう一年になる。ふと、時計を見てみる。小夜子の時計は十時十分を回っているが、この工場の時計は硝子の熱風で長針が曲がったのか未だに、九時五十五分あたりを彷徨ったままだ。
「社長はまだ来ないはずだわ…」。昨日、天王寺にある「スナック森井」にいそいそと出かけて行くのを小夜子は見ていたのだ。
外の空気を吸おうと小夜子は思い、おもむろに外に出、空を見上げた。今日も生野の空は鉛色だった。
工場に戻り、少しゆったりとしたペースでダルマに火を入れて一息ついていると突然、リーンと電話が鳴り響いた。どうせ社長から「今日は昼から出社する。」という電話であろうと思い、小夜子はうなだれながら受話器を取ると「今、西成の釜ヶ崎にいる。後、三十分ほどで会社にもどる。」と社長、相変わらずの早口のダミ声が受話器の向こうから聞こえた瞬間、小夜子は軽い目眩を起こした。「どうしてもあの早口に付いていけない…。」そういいながらカバンからニトロを取り出すと小夜子は自分のか細い二の腕に浮き出た青い血管にそれを打ち込んだ。「もう、これがないとあの変態野郎とは喋れないわ」。
しばらくすると社長が帰ってきた。「いや〜スマン、スマン。さっき釜ヶ崎でこいつを拾ってきたんや。空川君、スマンが今日からこいつと一緒に働いてくれへんか。」すると社長の後からヌーと黒ヒョウのような手が現れ小夜子の手に触れた。「ドウモ、ハジメマシテ、カルロス・ジャッキーです。」小夜子は思わず頬を染めた。鼓動が高鳴る、生野区の空は少し日を照らし出していた。 (第1話「衝撃の出会い」より)
